血の 臨月に滴ルは 、 レプティリアン 奇譚
-- voyage extra ordinaire --






バケラタ地獄(-bakerata)の 音楽/現象text領域内で (発声/発生) されていると思われる言葉を(※1)一部掲載。
しかし、その時の放出エネルギーの均衡作用状態や憑依してくる式神ノ霊的正確の相性、 (旋律/戦慄) の原初的衝動による
シンクロシニティやカタストロフ、アポカリプス、すなわちデタラメ加減や物忘れ具合により、必ずしも この通りではない。
また、通常の日本語言語体系には存在しない、 架空の特殊なコトバが バケラタの一部の詩に (使用/仕様) されている。
これは (音→声楽→発生) という表音記号(signifiant)と、意味作用(言説化→共有可能/科学証明)signifié による
恣意的で従属的な奴隷制管理体制から 逃れる(※2)ための、まったく あたらしい独自の実験的な試みである。
音化(音声化)=意味化などという進化した猿に与えられた このおおいなる特権、あるいは同時に苦しめられる奴隷の足枷、奴隷ノ鎖は
その言語を 各種人類、個別に存立する民族に根差した文明・文化の進化・発展過程による反復作用制限によって のみ
百科辞書的に体系化され、解剖観察され、標本匣に押し込まれ、死んだ状態、仮死状態、死体遺棄として 処理される。
音声化=意味化という特権、あるいは同時に苦しめる奴隷の足枷、奴隷ノ鎖は
そのオトそのものから(発生/発声)する原初的な(想像力/創造力)を 根本的に抑制してきたのではないだろうか。(※3)
すなわち日本語言語体系の監視下のもとでは、 もはや「イヌ」dogは「イヌ」=dogでしかありえず、「サル」monkeyは「イヌ」ではない
ということで 「サル」は「サル」=monkeyに(成りすまし/≒成立し) 「イヌ」dog は再び「イヌ」dog/再現前/祟り(※4)として
言語化・文節の中で ふたたび(改めて?) 表音化・差異化され、構成化、あるいは「再」構成化 されるしかないのだ。
あまり考えたくはないかもしれないが、これは古典的パラドクスや二律背反、現象学的存在証明→嘔吐、及びヘーゲル式弁証法よりも、
もっと前に構成化、あるいは「再」構成化されなければならない本来あるべきモノ、 私たちが今まで見て見ぬフリをしてきた殺人行為、
そう、 それは極めて罪深い犯罪行為、 死体損壊・遺棄罪 幇助行為 「そのもの」 なのだ。
… この言語体系の鎖の地獄から現実逃避した、 もっとも安易で安直な、 観客席から野次を飛ばしてポップコーンを頬張るだけの
簡単な 「特等席」 が用意されている。そこでは貧乏人や自覚の無い幸福なバカ達が ひしめきあって お互いを見下している。
それは 日常生活で無意識に行われる 遊び・俗流の戯れ、貧者の言換え、愚者の考案、/言葉の自殺/意味の放棄/…
季節が変節する度に消費される 数多の流行語、略語や総称、ネットスラング、蔑称/… であふれた 泡沫の大替可能案である。
この 俗流の戯れによるコトバ遊びは 所詮「ことばあそび」の領域を出るものでは無く(※5) ただ そのまま消費され、いつでも
取り換え・代替可能な 他者との刹那的コミュニケーションツールとしてしか(機能/帰納)できない、ひどく無自覚的で
貧弱な言葉に成り果てている。無気力に繰り返され、笑われ、蔑まされた挙句ゴミのように捨てられ忘れ去られるコトバの残骸。
単純な言葉、 すぐ死ぬ言葉、 誰も責任をもたない言葉、 死んだコトさえ知らされない言葉、 ゾンビの呻き声 。
・・・そこで もっと自覚的に言葉による「言葉であるが∴」意味の呪縛からの解放、あるいは言葉「そのもの」を破壊するような、
言葉を殺す言葉 、そんな気違いじみたテロ行為のような言葉、 意味言語体系管理体制破壊装置としての言葉、
それでいて囚われの身となった「意味/根源」を救い出し、意味そのものを再び自由に活性化させることはできないだろうか…?
そうした過程の考察検証のもとに 「ニャンオンワンオン」や「ツキケズリ」という自覚的「起爆装置」を 試験的に設置し、
バケラタ(地獄)の 音声/声楽/発声 の領域内で 独自に展開・発展させている。
これは 言葉による、言葉のためのテロ行為である。体系化を拒み、意味を拒絶し、笑いながら そのまま のたうちまわる。そして
言語の残響 (音塊/音階) のみを アナタの脳髄に「置き去りにする」。すると言語体系管理区体制内では 理性能力による
情報処理が発動せずに、意味や表音・恣意や意訳が痙攣を起こし 様々な方向に (élan vital) 刺激を与える。
それは おおいなる自爆、未来の (放棄/蜂起) アナタの脳髄に 新しい国家が 万来の拍手喝采ノ中、新しい国家が、
おそらく アナタの内部で、そして おそらくアナタ以外の何物かによって、新しい国家が アナタの中に 誕生する。
あああ
例えば 民族固有の恐怖観念に、 生理的嫌悪感に、 幼少時のトラウマ、 記憶、 過去に、 未来に。
ああああ
まだ見ぬ 新しい 創造力 に 。
(※1) 今さらで恥ずかしいけど、とりあえず Jacques Derrida(1930-2004)が 死んだあとの世界、書式として (解釈/介錯) してください。
かつての「郵便」も「郵送」も 高速炉メディアによって、無効化、あるいは均一化された「民主主義よりも あっけなく(予想よりも早く)優れてしまった共産世界」
例えば、 アナタの家の玄関先に立っているAmazonの配達人が、ピンポンを押した瞬間、「荷物」はドコにあり、誰のモノなのか 誰の「所有物」なのか???
それは即ち、アナタがこの文章を「独自に(個別に)解読」するよりも、さらに速く仕掛けられた嘘の世界、あるいは罠、かも しれません。
(※2) 我が闘争/と 嘘/逃走線//逸脱/脱走/エピステーメーからの脱却/座標軸(0.0)の拒絶/我が逃走 65535;
(※3) ここで(断続的)教育や(断続的)歴史、哲学、倫理観や接合性を持ちだしている内は、まだ(断続的)教育や(断続的)歴史「内」の
範囲「内」に収まって、 小さく息をしているだけの矮小化した昆虫以下の思考存在であるコトに アナタはいい加減気付くべきだ。
そして 実に驚くべきコトに、この世界に おしなべて認識された共通定義、すなわち「書式」や記述、「過去に書かれたモノ」や重版、印刷物は
アナタが その加工物を認識した瞬間に、一切が政治的詐欺師と企業の権力合意によって 「あらかじめ」議論され、解決した「かのように」機能し、
まるで何事も無かったかのように その歯車が回転し、油を吸い、重力と引力、量子力学と航空工学(気圧ノ粘り)を 全面的に承諾したまま
まるで何事も無かったかのように その他一切の「定義」を、記述/虚実、論証、印刷物を(書かれた死体として)再確定する 行為によって、
はじめて 「書式/記号/揮毫」は その性格の悪さを発揮し、誰にでも嫌われる役を 「自ら」 買って出るのである。
(※4) ここにはインディーズ・パンクロッカー特有の特定思想の飛躍や 悪ふざけ、偏屈的な嗜好性が顕現しているコトを認めざるを得ない。
分かりにくい?が 分かりやすい猿よりマシだと思う。増大するエントロピーが逆流したらと思うと ゾッと するだろ?
(※5) 音感、 隠喩、 陰謀論。 民明書房や竹内文献、 実話ナックルズ、WHOや朝●新聞など を 含む。